Inspire vol.4

最終更新: 3日前

インスパイア第4弾は、一緒にコラボしているアートディレクターの篠原氏が多忙のため、今回は、私一人でインスパイアのイメージを紡いでいくこととなった。


今回のテーマは、ラビリンス Labyrinth (迷宮)です。詩の言葉に触発されたイメージとは、いったい、、、?



このInspire インスパイアは、フォトグラファーとしての私が、今までにないインスピレーションに満ちた、新しいビジュアルに挑戦していくシリーズ企画です。


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さて、今回は私一人で発信しなければならないので、どんなイメージをテーマにしようかと、あれこれ想いを巡らせていると、ふと、学生時代にはまったシュールレアリズムの

「オートマチズム」という、言葉の実験的な詩作のことが頭に浮かんできた。


オートマチズムでの言葉の実験は、当時、本場のフランスだけでなく、日本でも色々な詩作の試みが行われている。その中でも、とりわけ私の大好きだったのが、日本のシュールレアリズムを代表する詩人の瀧口修造だ。


彼の「瀧口修造の詩的実験 1927-1937」は、当時の私の密かなバイブルでもあった。





今回のインスパイアのイメージのヒントになるかもしれないと、久しぶりに、彼の詩集の

ページを開いてみることにした。


素敵なタイトルが、美しい魚の群れのように並んでいる。

  妖精の距離、影の通路、風の受胎、夢の王族、、、、


その中の「妖精の距離」の一節に、不思議な言葉を見つけた。


・・・・中略・・・

脱ぎすてた小石

すべてが足跡のように

そよ風さえ

傾いた椅子の中に失われた

麦畑の中の扉の発狂

空気のラビリンス

・・・・・


その言葉とは、「空気のラビリンス」つまり、空気の迷宮。


いつも慣れ親しんでいる空気だが、考えてみると、その存在を視ることはできない。どんなに周りに豊かに満ちていても、その存在を知らないままの「空気」という世界。これもある意味で、ひとつの迷宮、ラビリンスと呼べる世界かもしれない。


肉眼では決して視ることのできない空気の迷宮、ラビリンス。言葉の響きも素敵で、こんな想像力をかき立てるイメージを、ビジュアルにしてみたい、写真で表現してみたい、という無謀な欲求がわき上がってくる。よし、今回のお題はこれだ!と決める。


さてさて、その方法だが、瀧口修造の詩作が実験的作風であるなら、今回の撮影もそれと同じように、とても実験的でチャレンジングなやり方で撮ってみようと、気持ちも昂ぶってくる。


空気の層の何かが、例えば色や光に照らされた時に、一瞬その姿を垣間見せる。その偶然の一瞬を、カメラで捉えることはできないだろうか?透明な大気の層に、色と光で魔法の粉をかけた時に、どんな姿が浮かび上がって来るのだろうか?


ひらめきの思いつくままに、ラフスケッチを描いてみる。




だが、実際それはどのようにしたら、現実として撮れるのだろうか?


シュールレアリズムの詩作方法であるオートマチズムのやり方で、意味も繋がりもない、

連想をあてもなく続ける。そんなイメージの迷宮を、なすがままにしばらく転がって

みる。その先の迷宮では、果たして何が待っているのだろう?



そんなあてのない想像を膨らませていった時、ある不思議な撮り方を思いつく。普段の撮影では、絶対にやらない方法。フォトグラファーの私でも、その結末がまったく想像がつかないやり方だ。


ドキドキした期待と不安の中で、撮影が始まることとなった。


実験的写真にチャレンジする「インスパイア」の企画だが、撮影するセットも毎回とても実験的で不思議なものになっていく。今回は撮影した画像をご覧いただく前に、撮影セットを最初にお見せしようと思う。


どんなものが撮れるのか、やってみないとわからない賭けのようなセッティングであったが、実験的写真にふさわしい面白いものになった。






スタジオでのセッティングが完了し、いよいよシューティングだ。

ひらめきと偶然の重なりの中で、「迷宮」の姿をとらえるべく、乾いたシャッター音だけがスタジオに響き渡る。カメラのディスプレイには、いったいどんな姿が現れてくるのだろうか、、、、


やがて、ラビリンスという詩の言葉は、想像を超えた未知の映像となって現れてきた。






空気の層にあるインビジュアルな秘密が、撮影という魔法で突然目に見える存在となり、

色と光になって姿と形を変えながら、くるりくるりと現れてくる、、、


エリック・サティの音楽が静かに聞こえてくるような世界。それはラビリンスというより、陽気なワンダーランドのような表情さえ見せる。シュールで不思議な世界。こんな迷宮の中でなら、あてどない迷い人のような時間を、しばし楽しんでみたくなる、、、

詩の言葉から生まれた、今回の不思議なラビリンスの世界。


こうして撮影してみると、未知のイメージを生みだしてくる、人間のこのインスパイアの

世界こそ、ある意味で究極の迷宮・ラビリンスかもしれない、、、


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と、ブログはここで終了し、公開される予定だった、、、が、、、、


実は、このブログの撮影をしたのが、228日でした。

その後、下書き原稿を再校正し、いよいよブログに公開しようとした時のことです。


世間では、横浜クルーズ船内感染のニュースが、連日のように報道され、また中国武漢での

ロックダウン、月末には安倍首相がイベントや行事の中止・延期、全国学校の休校を要請。また3月に入ると、国内の感染者も次第に出始め、世の中が一気にコロナ感染の逼迫したムードに包まれていった。


そんな中で、今回ブログにアップしようとした「空気のラビリンス」の画像を見ていると、

何かふと、連日テレビに映し出される、邪悪なイメージのコロナウイルスを、どことなく連想させるのではないかと気づき、急に冷水を浴びせられたような気持ちになった。しかも、タイトルが「空気」のラビリンスである。


それで、インスパイアのブログを一緒に始めたADの篠原氏にさりげなく、今回の画像を見せ、何か思いつくことがありますか?と聞いてみたが「なかなかいいじゃないですか」との返答だったので、こちらから「実はどことなくコロナを連想しない?」と尋ねてみたところ、「本当だ、一度そう見えたらもうダメ。絶対そうとしか見えなくなるから。橋田さん、今はブログアップはまずいよ。」との反応だった。


不思議なことに、この「空気のラビリンス」という詩の言葉を選んだ時にも、またそのイメージを考えた時にも、さらには撮影している時にも、コロナのコの字も頭の中にはなかったのに、どうしてこのような結末が待っているのだろう。これも世界が不吉なコロナの壮大な負の渦に巻き込まれていってるからだろうか、詩の言葉が、死の言葉になるなんて、と無念な思いでインスパイアへの公開を取りやめてしまった。


そうしてこの後も、世の中すべてが自粛の沈滞ムードに落ち込んでいったため、インスパイアの活動も少し休みの時間にしようと思い、新たな撮影にも取り組まずにいた。


そんな中で、どうしても合点がいかないのが、なぜ今回の撮影をした時に、自分でも思いもしなかった、擬似コロナのようなイメージが現れたのだろうか、そして、そのことをどう考えればいいのだろうか、という割り切れない思いが心の中で、ずっとくすぶり続けていた。


それに、そもそも詩人の瀧口修造の数ある言葉の中で、奇しくも「空気のラビリンス」という言葉を選びとった偶然は、このコロナの状況がさせた、ある意味暗い必然だったのだろうか、、、


そんな居心地の悪い2ヶ月半ばかりが過ぎたある日、何気なく新聞を見ていたら、ある記事が目に飛び込んできた。それは、かの横尾忠則氏が寄稿した記事でした。その中の一文に、今までの理由のない心のくすぶりを、綺麗さっぱり洗い流してくれるようなメッセージを見つけた。




以下、横尾忠則氏の記事からの抜粋

         −−−−−−−−−−− * −−−−−−−−−−− 


作品は環境の変化に敏感に反応するので、僕を取り巻くコロナ的現状によって、作品は忠実にコロナにインボルブされ、嫌な空気感を発生し始めている。しかし、如何なる表現を取ろうと、自作を否定するわけにはいかない。こうした環境の中で生まれた作品こそ、時代の証言者になり得ると、僕は自作を肯定する。


そこで気づいたのは、コロナを拒否してコロナから逃避するのではなく、コロナを受け入れることで、コロナとの共生共存を図る精神の力を絵画に投影させて、マイナスエネルギーを、プラスの創造エネルギーに転換させることでコロナを味方につけてしまい、この苦境を芸術的歓喜にメタモルフォーゼさせてしまえばいいのだ。

 

        −−−−−−−−−−− * −−−−−−−−−−− 

偶然読んだこの記事は、私にはまさに、天から突然舞い降りてきたメッセージだった。


横尾忠則の「僕は自作を肯定する」という力強い言葉は、出口のないスパイラルな暗闇に、一条の光を見るような思いがした。例え今回のインスパイアのイメージが、コロナに見えたとしても、今の状況でこの映像が浮かび上がってきたという、この事実を尊ばなければならない。時代の証言者ほど大そうなものではないが、少なくても自分の真実の証言者でなければならないと、思った。


こうした営みを続けることによって、彼の言う「精神の力を投影させて、マイナスエネルギーをプラスの創造エネルギーに転換させる」ことができ、そこから今までとは違った風景が見えるかもしれないと思った。


今回の2ヶ月半の沈黙は、この貴重な気づきに出会うためであったかもしれない。


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Hashidaのつぶやき

Vol.4 のインスパイアは、思ってもいなかった世界の激変の片隅で営まれた。今回のイメージの出発点になった、シュールレアリスト・瀧口修造の詩にある「小鳥は歌い出しさえすればいい、地下には澄んだ水が流れている」という言葉のように、自作を否定せず、生まれた作品の奥には、必ず淀みのない自分の真実があること、その大切さを知ったインスパイアであった。


       

*最後に、前回のVol.3 Vague に感想をいただきましたので、ご紹介させていただきます。


Mさんからのコメント)

「Vagueは、英語では「曖昧さ」の意味ですが、フランス語ではヴァーグと発音し「波」という意味で、映画のヌーベルヴァーグという言葉でも知られています。

インスパイア Vol.3 の最終のイメージに至る途上の、ターナー風「 嵐 Tempest 」のイメージは、まさにこのヴァーグ(波)そのものですね。最初に出てきた時に、イメージにぴったりだったので、これがファイナル画像だと思ってしまいました。」


Vagueをフランス語読みするなんて、思ってもみなかったことです。観る人によって自由なイマジネーションが広がる、Inspire インスパイアの面白さを改めて実感した想いです。


今回のインスパイアのご感想や、コロナとアートについてのご意見など、こちらのフォームいただけましたら幸いです。よろしくお願いします。




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